夏の甲子園で大阪桐蔭のエースとして活躍した、松浦慶斗(まつうらけいと)選手について紹介していきたいと思います。
大阪の野球強豪校として知られる大阪桐蔭は、今年の夏の甲子園で1回戦は東海大菅生に8回雨天コールドで勝利しましたが、2回戦では近江高校に敗退してしまいました。
その大阪桐蔭をエースとしてチームを引っ張ってきた松浦慶斗選手ですが、現在は最速150キロを計測し今年のドラフトでも注目されています。
今回はそんな松浦慶斗選手について、身長や体重や出身などについても調査しました!
松浦慶斗の身長や体重は?
松浦慶斗選手の身長や体重について調査しました。
もともと恵まれた体格で、中学1年生で身長170cm、中学3年生のときには身長185cm体重88kgとなっています。
現在では、身長186cm体重94kgと、中学生のころに比べ身長は1cm伸びていて、体重は6kg増となっていますね。
高校で野球のトレーニングなどで体を大きくしたことが分かります。
ここまで野球の実力を付けていったのには、これまでどんな経験をしてきてきたのか気になりますね!
次は松浦慶斗選手の出身や野球経験について紹介していきますね!
松浦慶斗の出身について
松浦慶斗は宮城県石巻市出身
小1から石巻市の少年野球クラブ「門小ガッツ」で野球を始めたようです。
2003年7月1日生まれの松浦慶斗選手は、小学1年生のときに東日本大震災が発生し、被災して長期間避難生活をしていたようです。
このときは野球どころではなく、1週間ほど避難所にいた後は、母親の実家の帯広に避難していたようです。
北海道の旭川市立新富小学校に転校
小2になると、親の転勤の都合で宮城県石巻市立門脇小学校から旭川市立新富小学校に転校しました。
そこでは、2013年~2015年まで、新富野野球少年団に所属し、小5からはファースト兼ピッチャーを始めています。
2015年の松浦慶斗選手が小6になると、北海道日本ハムファイターズジュニアのセレクションを受けて合格。
3回の試験があり、1,000人の中から18人を選ばれるもので、松浦慶斗選手はその18人の中に残りました。
日本ハムファイターズジュニアでは背番号「9」でピッチャーとして登録されています。
東日本大震災を経験し大変な時期もありましたが、北海道に来て野球の実力を付けていったようですね!
旭川市立明星中学校に進学
中学は自宅から自転車で通える「旭川大雪ボーイズ」に所属し、1年から主力選手として活躍し、ピッチングとバッティングの両方でチームを引っ張っていきました。
この「旭川大雪ボーイズ」は、硬式野球チームで練習は平日でも2時間みっちり練習しており、休みは週に1日だけという、野球漬けの毎日。
地元の大会では連覇するほどの強豪チームで全国大会にも出場するほど。
ここで投手専門のコーチから投球フォーム、感覚などを指導してもらい最初は120キロのストレートが中学3年のときには138キロまでスピードが飛躍的に伸ばしました。
中学3年のときには全国大会でベスト8に進出したこともあり、より高いレベルで野球がしたいというきっかけになったようです。
野球強豪校、大阪桐蔭に進学
中学のときに全国大会ベスト8まで勝ち進みその活躍が大阪桐蔭の関係者の目に留まり、さらにU-15代表の池田陵真からも、
一緒に大阪桐蔭で野球しよう
と誘われたこともあり、野球がうまくなりたい一心で大阪桐蔭に進学を決めたようです。
全国でも強豪校として知られる大阪桐蔭は、松浦慶斗選手が入部するとすぐに、そのレベルの高さを思い知らされたと言います。
中学のときはストレートよりも変化球が得意で打者を抑えていたのですが、先輩達とシートバッティングで勝負すると打たれてしまう。
ストレートで思いっきり腕を振っていったら抑えることが出来、監督やコーチからもストレートを磨くことを進められたようです。
投球練習でも強く腕を振って投げることを意識し続けていくことで、高校生で150kgを計測するまでに成長しました。
そして、2021年の春のセンバツ甲子園、夏の甲子園とエースナンバーである、背番号「1」を付け、野球強豪校の大阪桐蔭でエースを務めるまでに成長しました。
2021年甲子園では、残念ながらエースの松浦慶斗選手の登板はありませんでしたが、プロ志望を名言し、ドラフトに期待がかかります
松浦慶斗についてまとめ
ここまで、松浦慶斗選手の身長や体重、出身について紹介してきました。
まとめると、
- 身長:186cm
- 体重:94kg
- 石巻市出身
- 北海道旭川に引っ越し
- 中学時代に全国大会8位を経験
- 大阪桐蔭のエースを任される
以上、松浦慶斗選手についてまとめました。
まだ伸びしろを感じさせる松浦慶斗選手。
プロでの活躍に期待ですね!