東京オリンピック、柔道女子48キロ級で代表内定を決めている渡名喜風南(となきふうな)選手。
48キロ級と言えば、ヤワラちゃんこと田村亮子さんがエントリーしていた階級で、日本のお家芸と言われた階級ですね!
その階級で代表内定を獲得した渡名喜風南選手ですが、まだ詳しく知らないっていう人もいるハズ!
今回の記事では渡名喜風南選手について深堀りしていきたいと思います!
渡名喜風南の出身は沖縄なの?
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渡名喜風南(となきふうな)選手の名前を見ると、渡名喜(となき)という名字から、沖縄出身なのかな?と思いますよね!
沖縄に渡名喜島という島もあるし、南国風なお顔からも沖縄出身だと思っていました。
しかし、渡名喜風南選手の出身地は神奈川県相模原市出身。
えっ?そうなの?と感じる方も多いかもしれませんが、渡名喜風南選手は沖縄では無く、神奈川県出身で間違いありません。
実は、ご両親が沖縄の出身だったので、沖縄の名字だったんですね!
ちなみにご両親の出身は沖縄の南風原町出身ということでした。
渡名喜風南のこれまでの経歴は?
渡名喜風南さんが柔道を始めたきっかけは、父親がK-1のファンでTVで格闘技を良く見ていたそうです。
なかでもミルコ・クロコップのファンとのこと。
そんな父親の影響を受け小学校3年生の時に空手の道場へ見学へ行ったものの、なんか自分の思っているものと違い空手はやりませんでした。
次に見学に行った柔道を見た時に、
自分のやりたいことはこれだ!
と思い、柔道を始めることになりました。
小さいころはボーイッシュな見た目をよく男子にからかわれたそうですが、そんな時には立ち向かっていき、勝つまでやめなかったそう。
小さなころから負けず嫌いな性格だったんですね!
これまでの柔道の成績は?
中学時代
中学になると相原中学に進学をしました。
中学2年の時に県大会決勝で一つ上の姉を破り、全国中学校柔道大会44kg級に出場するも2回戦敗退。
近代柔道杯では優勝。
高校時代
修徳高校へ進むと、谷亮子選手のライバルの北田佳世の指導を受けるこになりました。
指導のもと、2年生の時には全日本ジュニア48kg級で3位。
3年生ではインターハイで3位になった、1年後輩の高橋留衣を東京予選で破り決勝に進むも、決勝で破れ準優勝。
アジアジュニアでは優勝を飾りました。
大学時代
大学は、帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科へ入学すると、当初は高校時代のように勝てなくなり自身が無くなりかけていたそう。
なかなか結果のでない時期を過ごしましたが、大学2年生のときには、IJFワールド柔道ツアーで初優勝を飾りました。
3年生の時にはグランドスラム・チュメニの決勝で地元のシアの選手を破り優勝!
4年生の時にはワールドマスターズで優勝しています!
グランドスラムカザンで優勝
2021年5月に約1年半ぶりに行われたグランドスラムガザンでは優勝を決めています!
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オリンピック直前の大会で優勝!
この勢いのまま東京オリンピックを迎えて欲しいですね!
渡名喜風南の両親や家族について
渡名喜風南選手の家族構成は、父親、母親と3人の姉がいるようです。
4人の姉ということは、女系の家族だったようですね!
渡名喜風南選手の母親がすごい人でした。
大学時代の結果があまり出せていないつらい時期に母親から掛けられたことばに、
死ぬこと以外はかすり傷
と言葉を掛けられ、その言葉に感銘を受けて自身を取り戻したといいます。
この言葉を聞くと、渡名喜風南選手の負けず嫌いな性格は母親譲りの性格だったのかなと思ってしまいますね!
でも実はこの言葉はテレビでしらないおばあちゃんが言っていた言葉を伝えただけだということだったようです。
言葉には不思議や力があるんですね。
家族の中の男一人の父親は何をしているのでしょう?
渡名喜風南選手の父親は、渡名喜庸吉(となきようきち)さんと言います。
格闘技好きというのは、冒頭でもお伝えしたのですが、仕事は運送会社でトラックの運転手をしているようです。
女5人の中に男一人で女性中心の家庭では、父親は肩身の狭い思いをしているのでしょうか?
渡名喜風南についてまとめ
今回の記事では渡名喜風南選手についてまとめてきました。
渡名喜風南選手について分かったことは、
- 神奈川県出身
- 両親が沖縄県出身
- 大学時代にIJFワールド柔道ツアー、グランドスラム、ワールドマスターズで優勝と飛躍
- 母親からもらった言葉、「死ぬこと以外はかすり傷」が座右の銘
- 父親は運送会社のトラック運転手をしている
以上が渡名喜風南さんについて深堀りしたら分かりましたよ!
東京オリンピックで活躍している姿を早くみたいですね!