若山陽一郎の現在は何してる?ココイチで食べた一杯のカレーのいい話!

若山陽一郎
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2021年5月27日(木)の「奇跡体験!アンビリバボー」では「感謝の気持ちが奇跡を起こす!ありがとうSP」と題した企画が放送されます。

感謝の気持ちが奇跡を起こす物語が放送されるようです。

タイトルを見ただけでも感動話が放送されそうで、内容が気になりますね!

その中で放送されるのが、一杯のカレーを彼女と分け合ったある男性の話が放送されます。

それが若山陽一郎さんがココイチで経験した、一杯のカレーを食べアンケートを書いたことで繋がっていく奇跡の内容が放送されるようです!

目次
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若山陽一郎がココイチで彼女と一杯のカレーを食べた話

学生時代には各地のダンスコンテストで優勝し、TRFのバックダンサーに抜擢されダンサーとして活躍していました。

23際だった若山陽一郎さんは2002年、岐阜県から上京しました。若くてお金もなく、幼馴染の家やルームシェアで生活していました。

そんな時、当時付き合っていた彼女が岐阜から会いにきてくれました。

その時の所持金はかき集めても400円。

彼女と一緒にいて400円はどこに行くことも出来ないし、きついですね。

そのな二人が歩いていると、牛丼の吉野家と、カレーハウスCoCo壱番屋(ココイチ)を見つけ、どっちにしようか迷っていたのですが、ココイチに入りました。

その時に400円で頼めそうなメニューはポークカレーしかありませんでした。

若山陽一郎さんは、彼女におごらせるわけにはいかないと思い、二人で一皿を分け合うことに。

「ポークカレーを1杯ください。二人で分けて食べます」

すると、店員さんが、

「はい、ポークカレーですね。取皿もお持ちしますね。少々お待ち下さい」

二人で一杯のカレーしか頼めず、恥ずかしい思いをするどころか、他のお客と同じ対応をしてくれる店員に感動したそうです。

そこで、その定員さんが上司から褒められたらいいなと思い、感謝の言葉をアンケートに書き、接客の素晴らしさや、自分が感じたこと、身の上話まで書いて、お店を出ました。

ココイチ創業者、宗次徳二さんからの手紙

それから約1ヶ月後、自宅の郵便受けにココイチから封筒が入っていました。

その手紙にはこう書かれていました。

「お客様のはがきを読み、胸が熱くなりました。自分も貧乏をしていた時代があるので、お客様の気持ちはよくわかります」

「夢を諦めないでください。くじけそうになったらまたココイチに来てください。いつでも温かいカレーを作ってお待ちしております」

その手紙の書き主は、創業者の宗次徳二さんからで、手紙の最後には「これは私個人の考えで送ったものです」と書かれていました。

さらに封筒の中には手紙だけでなく、3,000円分の食事券も入っていました。

当時、400円ほどしか使っていない客に対して自ら返事を書き、その上3000円の食事券まで一緒に送ってくれる、そんなことをしてくれる意味が分からなかったそうです。

8年度にココイチ創業者宗次徳二さんとの出会い

8年後の2010年。若山陽一郎さんはココイチの宗次徳二さんと出会うことになります。

愛知県一宮市に住んでいる得意先の女性と一緒にココイチでカレーを食べることになりました。

当時の若山陽一郎さんは個人で不用品回収の仕事をしていました。

一宮市はココイチの本社がある場所で、宗次さんは地元でも有名。

8年前のことをその女性に話すと

「さすが、あの宗次さんだわ」

と涙を流しながら言われました。

その後、二人で訪問した紡績会社の会長にも、8年前のココイチでの話をしたところ、その会長にこう言われました。

険しい表情で、

「その話の続きはないのか?」

「君は大事なことを忘れている。なぜ、宗次さんにお礼を言わない。それだけ感謝しているのなら、一度くらい会いにいって、お礼を言うことは考えなかったのか」

会長はその場で電話をかけて、宗次さんに会えるようアポをとってくれたそうです。

若山陽一郎さんは8年前のお礼を宗次さんに会いに行くと、

「覚えているよ、鮮明に」

と言ってくれました。

8年前の手紙をもらってから、自分が歩んできた道のりを説明したら、

「あの時の君への3000円の投資は大成功だった。

こんな形で会いにきてくれて、大いにもうかったよ。逆にありがとう」

こんな言葉をかけてもらえたそうです。

あまりの嬉しさに、

「いつか宗次さんのように、若者たちに夢と希望を与えられるビッグな男になりたいと思っています」

と答えていたそうです。

それから、11年後、42歳になった若山さんは自らが興した社長になりました!

若山陽一郎の現在

現在は愛知県小牧市に「RE-SQUARE BANUL」という「日本一お洒落なリサイクルショップ」を経営する社長です。

また、数多くのセミナーや講演などをして全国を回っているそうです。

23歳まではダンサー一筋だった若山陽一郎さんでしたが、ダンサーで生きていくことの厳しさを知り、ダンサーを辞めたあと、営業へと転職しました。

かむしゃらに働いた営業でそれなりの給料を得て、急にお金を手にしたことで金遣いが荒くなってしまい、借金が増えてしまうことに。

ある社長に相談すると、

「自分の一番嫌なことをやれ!」

というアドバイスをもらい、アルバイトで不用品回収を始め、その延長線で現在のリサイクルショップを経営することになりました。

始めは不用品回収してリサイクルショップに販売をすることがメインでしたが、だんだん自分達の提案次第で、不用品に新しい価値を生み出せないかと考えるようになり、2016年に「BANUL」をオープンすることになりました。

今では、インスタグラムを見て全国からお客さんが集まるほど話題のリサイクルショップになっています。

若山陽一郎さんについてまとめ!

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若山陽一郎さんの人生はいろいろな経験をされていて、人生の経験値が高いような気がしました!

そんな若山陽一郎さんの現在は、

  • リサイクルショップ「RE SQUARE BANUL」を運営する社長
  • 全国をセミナーや講演をして飛び回ってる

かつて、ダンサーの夢を諦め挫折していた時のココイチでの一杯のカレーの話。

創業者の宗次徳二さんの若者に夢を与えるエピソードもとても感動的でしたね!

そんないい影響を与えられる大人になりたいですね!

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